明日あさってと山泊まりです

  明日、あさってと栃木県の那須に行きます

 

  山小屋に泊ります

 

 

  学生時代の友人二人と一緒です

 

  温泉入ります

 

  楽しみです

 

 

  では!

夢をみる(夜の)

 二度寝をやめよう

 

 うさぎの死を発見した朝、すっと目覚めて、4時半から気功をしたりして過ごしたのが良かったので、そう思った

 

 だが、、、どうしてもまた寝てしまう

 

 今朝は、4時半に一度目が覚めて、また眠りに落ちてついさっき布団をたたんだ

 昨日は三度寝までしたので、今日はだいぶマシだ

 

 睡眠の世界に引き留めるみたいに、毎回、どっぷりと深い夢をみる

 夢を見ている時点で、眠りとしては相対的に浅いはずだが、夢のシチュエーションが現実とかぶりつつ、悪くないもの、何か前に進んでいる感じのするものなので、ついついハマってしまう

 

 と、ここまで前置きを書いていたら、夢の内容の記憶がほとんどトンでしまった

 

 グループで何かしていた気がする

 女性中心のグループ

 以前、グループコンサルを受けていたとき、そんなグループだった

 

 残念、思い出せない

 

 次回からは、真っ先に夢を書こう

  • (そもそも、ここは私自身の日記であり、備忘録だから) 

死んだら終わり

立て続けに、周囲に「死」が起きた

昨日の早朝、近所の診療所で飛び降りがあった
当の本人の生死は不明だが、警察が現場検証していた

今日の早朝、家で飼っていたうさぎが死んでいた
一昨日の夜から絶食し、水も飲んでいなかった
自殺みたいなものだが、うさぎには珍しいことではないらしい

私は日中、仕事や病院の受診があったので、立ち会えなかったが、すでに家族が庭に遺骸を埋葬していると思う

帰ったら主を失ってがらんとしたゲージが待っている
涙を流すような悲しみはないが、改めて命の儚さを感じる

生まれ変わりがある という人もいる

しかし、実際は「死んだら終わり」

現実世界から姿はなくなり、誰かと話すこともできないし、石ころ一つ動かすこともできない

生きている人々の記憶の中にあるばかり

内村鑑三は、後世への最大遺物は、その人自身の生き方、生きざまである、と書き残した

しかし、何十億という人々の生きざまのうち、後世へ語り継がれるものはごく僅かだろう

やはり「死んだら終わり」なんだと思う

「相手は誰でもよかった」という殺人事件について

 「相手は誰でもよかった」という殺人事件

 

 理解に苦しみますよね?

 

 

 自分が生きている実感を得るために、自分自身を傷つける自傷行為

 

 私は、こちらの方が、まだ理解できる気がします

(やりたいとは思いませんが。。)

 

 

 虫を殺したり、カエルを殺したり、猫を殺したり・・・

 その延長上で人間を殺してみたくなったりするのでしょうか

 

 人間の死 というものが一般の人からは見えにくくなっている現代日本

 身近に、不可避なものとして、もっと日常的に死というものがあれば、あえて死を作り出そうとは思わないのではないか、、、

 そんな気がします

 

 人を殺してみたくなった人は、バンジージャンプでも、ロッククライミングでも、自分自身の身を危険にさらすことをやったらいい

 いっそのことアフリカのサバンナにでも行って、猛獣に襲われる体験でもすればいい

 アフリカまで行かなくとも、日本の山の中でクマに襲われ、闘ってみればいい

 

 人を殺すのがどういうことかを試す前に、命を奪われるとはどういうことなのかを身をもって知れ!

 そう言いたい

 

 生きるということ、生活をすることにまともに正面から取り組んでいない

 現実社会から浮いてしまって、地に足がついていない

 

 そういう人が、人を殺してみたくなるのでは?

 

 リアルな人々とつながりを持ち、自分で自活して生活できていれば、誰でもいいから人を殺したいなどとは思わないはずです

 

 こういう事件が起きると、死刑について、どうすべきかと考えてしまいます

 「死」を与えること

 それ自体は罰にもなるし、永遠の安息を与えることにもなります

 むしろ死の恐怖や苦痛を味わわせつつ、死なさない

 それが一番の罰であり、一番、適切な対応のように思います

 

 みなさんはどう思われますか?

三連休の中日、どう過ごしていますか?

 三連休の中日

 

 世間一般の人たちはどうやって過ごしているのか?

 

 

 息子は金曜日から熱を出し、家でおとなしくしているだろう

 今朝のメールでは、熱が下がってきて、たらこのおにぎりを食べたとのこと

 

 

 私は、午前中、都心に出かけてきた

 

 何だか人が少なく感じられた

 

 電車はどれも座れたし、街を歩く人も多くなかった

 

 

 海やプールには人があふれているのかもしれない

 

 涼しい高原とか牧場とか、神社仏閣、公園その他・・・

 

 図書館、美術館、博物館

 

 

 あ、映画館なんかも

 

 しかし、自分が会員になっているシネコンはろくな映画をやっていない

 上映中であっても、大人向けのやつは夜にならないとやらない

 

 会員更新しないぞ、、ユ〇イテッドシネマ

 

 

 美術館に行くというのもよいプラン

 

 私は学生時代、美学美術の西洋美術史の授業を取っていた

 

 絵に没入し、音や空気を想像しながら観るのが楽しい

 

 作品の美術史の中における位置づけ、作者の性格や生き様など

 背景知識を持つとなお楽しめる

 

 明日は美術館にでも行こう

寂しい夜に。。。

このブログ

 

画面が真っ白だからか、余計に寂しさを覚える

 

 

誰も見ていないところで、いったい自分は何をしているのだろう。。。

 

 

昨夜、学生時代からの友人と集まり、ワインをたくさん飲んだ

 

今朝は、少し頭の芯が痛かった

 

久しぶりの二日酔い(もどき)

 

 

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では

自分が恐れているものは何だろう

 自分が恐れているもの 何だろう?

 

 職を失うこと

 収入が絶たれること

 

 手持ちのお金がなくなって

 ホームレスになること

 飢えること

 

 一人ぽっちになること

 

 目が見えなくなること

 (緑内障で右目の視野がほんの少し欠けている)

 

 

 完全に理性を失うこと

 これは何度もそうなりそうな体験をして、死ぬよりおっかないと感じた

 

 しかし、理性を失って何をやるかというと

 想像してみたら、せいぜい、街中で素っ裸になって叫ぶくらいだった。。。

 

 

 死ぬこと、、、

 、、、怖いような怖くないような

 

 かつて何度か死のうとした

 手元には有名な「完全自殺マニュアル」があった 

 

 首吊りが一番楽に死ねると知り

 衣文かけに結んだネクタイで首を吊った

 気づいたら床に転がっていた

 金属の衣文かけが曲がって外れて落ちたのだった

 

 マニュアルに載っていた精神科の薬をためこみ

 ある晩、致死量とされていた量をまとめて飲んだ

 翌朝、救急車で病院に搬送された

 そのときは眼球が裏返っていた(ような気がする)

 何日か点滴を受け続け、とくに後遺症もなく生き残った

 入院している間に、大阪の池田小無差別児童殺傷事件が起きた

 犯人は死にたくて死刑を受けるため子ども殺したという

 何だか、自分のせいで、子どもが死んだような気がした

 

 それ以来、本気で死のうと試みたことはない

 

 ただ何となく、「死は苦痛ではなく、安息である」というような

 思いは自分のどこかにある

 たぶん、相変わらず、自分にとって死へのハードルは他の人より低い

 

 しかし、死にたくて死ぬ人間はいない、とも思う

 

 いずれ死ぬ

 それまでは生きたい

 精いっぱい生きたい

 

 自分の子どもがいる今は

 自分のためだけでなく、子どものために生き続けなければと思う

 

 ただ、永遠の生命とかは

 勘弁してほしいと思ってしまう

 

 生きるのは何かとつらい

 

 自分に未知の世界に飛び込む勇気がないからか

 突き抜けていないからか

 過去からの思い込み、社会からの刷込みから逃れられていないからか

 

 「いくらでも生きていたい」

 そう考えている人もいるのだと思う

 

 不安とか、変化とか、未知なるものとか

 そういったものを楽しめる人になれれば

 それはいいなぁと思う

 

 そのためには、一つ一つ、乗り越え、達成し、

 ちょっとずつ前へ進んでいる感覚が持てるといい

 

 

 とくに結論はないが、今日はこれで終わり

 寝ます