「相手は誰でもよかった」という殺人事件について

 「相手は誰でもよかった」という殺人事件

 

 理解に苦しみますよね?

 

 

 自分が生きている実感を得るために、自分自身を傷つける自傷行為

 

 私は、こちらの方が、まだ理解できる気がします

(やりたいとは思いませんが。。)

 

 

 虫を殺したり、カエルを殺したり、猫を殺したり・・・

 その延長上で人間を殺してみたくなったりするのでしょうか

 

 人間の死 というものが一般の人からは見えにくくなっている現代日本

 身近に、不可避なものとして、もっと日常的に死というものがあれば、あえて死を作り出そうとは思わないのではないか、、、

 そんな気がします

 

 人を殺してみたくなった人は、バンジージャンプでも、ロッククライミングでも、自分自身の身を危険にさらすことをやったらいい

 いっそのことアフリカのサバンナにでも行って、猛獣に襲われる体験でもすればいい

 アフリカまで行かなくとも、日本の山の中でクマに襲われ、闘ってみればいい

 

 人を殺すのがどういうことかを試す前に、命を奪われるとはどういうことなのかを身をもって知れ!

 そう言いたい

 

 生きるということ、生活をすることにまともに正面から取り組んでいない

 現実社会から浮いてしまって、地に足がついていない

 

 そういう人が、人を殺してみたくなるのでは?

 

 リアルな人々とつながりを持ち、自分で自活して生活できていれば、誰でもいいから人を殺したいなどとは思わないはずです

 

 こういう事件が起きると、死刑について、どうすべきかと考えてしまいます

 「死」を与えること

 それ自体は罰にもなるし、永遠の安息を与えることにもなります

 むしろ死の恐怖や苦痛を味わわせつつ、死なさない

 それが一番の罰であり、一番、適切な対応のように思います

 

 みなさんはどう思われますか?